それから数日野宿の日が続いた後、私達は宿屋のある町に着きました。
久し振りにくつろいで過ごす夜でした。
食事を終え、それぞれの部屋に引き取ってしばらくすると、同室のオスカーとオリヴィエは
こっそりと夜の町へ出掛けていきました。きっとまた朝まで帰って来ないのでしょう。
ひとり残された私は、窓から外を眺めて、
安らぎとも寂しさともつかないため息をそっとついたのでした。
と、その時、ドアが静かにノックされ、そっと入って来たのは―――

「ルヴァ様！？」
「こんばんわ、リュミエール。いえ、オスカーとオリヴィエの出て行く姿を見掛けましたのでねー」
おっとりとした風貌に似合わず、この人は鋭い観察眼を持っておいでなのです。
２人が抜け出したことを知っているのは、他にはクラヴィス様くらいではないでしょうか。

「あなたとお茶を飲もうと思いましてね。ほら、先ほど街の道具屋へ行ったときに
ちょっと寄り道をして、お茶の葉を手に入れてきたんですよ」
そう言って差し出された包みをほどいて、私は驚きました。
それは私の故郷の星のお茶。それも、まだ守護聖となる前、故郷の父と母の許にいたころに
私が最も好んでいた種類のお茶でした。
「ルヴァ様、これは････」
尋ねる私に、ルヴァ様は、おや、どうかしましたか、とでもいうように、軽く微笑むだけでした。
「私達の旅もだいぶ長くなりましたし、なんといっても緊張の連続ですからねー、
たまにはゆっくりと、お茶でも飲んでくつろぐことが必要だと思うんですよ。
この旅は私達にとって、不慣れで困難なものです。
緊張、不安、恐怖、焦燥、苦痛････私達は常にギリギリのところにいます。
心身共に、解放してやらなくてはどこかで破綻してしまいます。気晴らしが必要なんですよ。
まあ、オスカーやオリヴィエのように、町へ遊びに行くのも一つの方法でしょうけれどねー･･･。
でも、それは････いえ、彼らのことはどうでもいいんです。
とにかく、私の言いたいことは、ですね」
ルヴァ様は私を見つめてにっこりと微笑みました。
ドキン、と心臓が騒ぎます････。
「せっかくの休息ですから、あなたとお茶を楽しみたいのですよー」
と、また、にっこり。
艶やかな、いっそ凶悪とも言いたくなるその笑顔････。
私の心をざわめかせ、落ち着かなくさせる笑顔････。
「あ、今用意をいたします。どうぞこちらへ」
何気ない様子を装いながら、わずかに声がかすれていることを自覚して、
私はルヴァ様の顔をまともに見ることができませんでした。



静かな時が流れていきます。
懐かしい味と香りの中に心を解放し、私は久し振りの安らぎを感じていました。

安らぎを得て、初めて私は、自分がどれほど追い詰められていたかを理解しました。
慣れぬ旅、不本意な戦闘は、思ったよりも大きな力で私を蝕んでいたのです。
あのままでは、私の神経は早晩まいってしまったことでしょう。
そんな私の状態を、ルヴァ様はちゃんと見ていてくださったのです。
私自身でさえ気が付いていなかった危機を、ルヴァ様は気付いてくださって、
そうして、さりげない優しさで心の潤いを取り戻してくださったのです。
（ルヴァ様････）

私は静かに視線を上げて前方を見ました。
お茶の香りの向こうにルヴァ様が見えます。
聖地でお茶会を楽しんでいる時と同じような穏やかなたたずまいのルヴァ様が････。
どこにも気負ったところがなく、自然体でくつろいでおいでのルヴァ様を見るうちに
胸の奥が暖かくなってきて、
闘いの旅のさなかだというのに、幸せな平穏に充たされてゆく思いでした。

「リュミエール」
ルヴァ様の呼ぶ声に、私ははっとしました。
気が付くとルヴァ様は窓辺に佇んで外を見ておいでです。
私は席を立って、ルヴァ様の傍らで同じように外を眺めました。
窓の外には、家々の明かりが点々と連なっています。
「あの灯りの許には、それぞれに人々の暮らしがあります。
平和で善良な、ごく普通の人たちが、ごく普通の生活を営んでいます。
まもなく皆、眠りに着くことでしょう。
朝がくればまた同じような平和な１日が始まることを疑いもせず、夢の国へ旅立っていくのです」
暗闇の中に点在する灯りをいとおしむように、ルヴァ様の言葉は続きます。
「けれども、もし皇帝の手がここまで伸びてきたら、
彼らはモンスターとしての目覚めを迎えることになります。
おのれに降り掛かった悲劇を嘆く心さえ失ってしまうのです。
そんなことは許されていい筈はありません」
静かな口調の奥に、皇帝の所業への憤りをにじませて、
ルヴァ様は私の方へ向き直りました。
「リュミエール、あなたが争いを好まないのはよくわかっています。
この闘いの日々があなたを苦しめていることもよくわかります。
ですが、私達は闘って皇帝を倒し、宇宙の平和を取り戻さなくてはならないのです。
宇宙の為に、女王陛下の為に、そしてあの灯りの許に暮らす人々の為に･･･」
「ええ、ルヴァ様････」
「ですから、ね、リュミエール。
少しでも早く皇帝を倒すように、
早く平和を取り戻して、武器も防具も魔法の力も捨ててしまえるように、
今ちょっとだけ、平生のあなたの生き方から離れた行動に耐えてください。
あなたには辛いことでしょうけれど････」
そう言うルヴァ様の方が、たいそう辛そうに、私には感じられました。
宇宙の危機を前にして、尚、私を気遣ってくださるルヴァ様････
「いいえ、ルヴァ様、わたくしも精一杯の力を尽くしたいと思います。
陛下から頂いた力を無駄にしないように、出来る限りのことを、いたします」
「リュミエール･･･」
僅かに低い視線を見上げるようにして、私に微笑みかけるルヴァ様の、その愛しさ････。


　　ええ、ルヴァ様、わたくしは、ひごろのわたくしの主張を忘れましょう。
　　忘れて、立派に闘ってみせましょう。
　　あなたが穏やかな微笑をいつも浮かべていられるように。
　　宇宙の為でもなく、女王陛下の為でもなく、人々の為でもなく、
　　ただ一人、ルヴァ様、あなたの為に。


窓から見える人家の灯りが、一つまた一つと消えていきます。
穏やかな闇が、辺りを包んで、静寂を深くしていきます。
私たちは、そっとそれを見ていました。

ルヴァ様は何も言わず、
私もなにも語らず、
ただ身近にあるお互いの存在を感じて････

静かに、静かに、夜は更けてゆきました。

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