雪の日 ２００６．１．２１
庭からは賑やかな声が風に乗って流れてくる。 耳を澄ませてそれを聞いていたルヴァは、小さくクスリと笑うと、もうすぐ冷え切って走りこんでくるだろう人のためにお茶の支度に掛かった。 聖地は今週末「冬」だった。 身を切るような冷たい風は、普段にない新鮮な感じがしてかえって心地よかったし、 真っ白に一変した風景は、物珍しさもあって守護聖たちを喜ばせた。 リュミエールやオリヴィエとは、さっきまで雪景色を見ながらお茶を飲んでいた。 寒冷な惑星の出身であるオリヴィエは、故郷にいるときには雪なんて大嫌いだったんだけどね〜と笑っていた。 「おかしなモノだよね。今は雪景色が綺麗だって素直に思えるんだからさ」 そう言って雪に覆われた庭を眺めるオリヴィエは、とても柔らかな表情をしていた。 「わたくしの故郷では雪の降ることはほとんどありませんでしたから…」 リュミエールはそう言うと嬉しそうに雪景色を見回していた。 「本当に美しくて平和な風景です。雪の聖地を…絵に描いてみたいですね」 聖地に来るまで雪を見たことがないのはルヴァも同じだった。 絵に描いたりはできないけれども、心ゆくまでこの風景を味わっていたかった。 満ち足りた思いで、３人は静かに雪を眺めていた。 やがて、オリヴィエが雪の中を歩いてくると言い、リュミエールは早速描き始めてみますと言って、帰っていった。 シンと静まり返った中、雪は音も無く降り続けていた。 しばらくすると、肩や頭に雪を積もらせてオスカーが訪ねてきた。 聖殿の周りを見回ってそのまま来たと言って、雪を払いのけながら、オスカーは愉快そうに笑った。 雪の中を馬を走らせてきたオスカーは、いつもより気分が高揚しているようで、聖殿や来る途中のあちらこちらで見かけた出来事を次々と話した。 そんなオスカーがまるで少年のように感じられて、ルヴァは微笑ましい気持ちでオスカーの話を聞いていた。 少しするとゼフェルたち年少守護聖がやってきた。 地の館まで来る間も遊びながらやってきたようで、３人とも既に雪まみれだった。 彼らもオスカー同様、降り積もった雪に興奮しているようだった。 そして今、オスカーは少年たちと雪の中で遊んでいる。 ２対２で始まった雪合戦は、いつの間にか１対３になったようだ。 オスカーの叫びと少年たちの歓声が、庭の向こうの方から風に乗って聞こえてくる。 ルヴァは小さくクスリと笑うと、お茶の支度に掛かった。 彼らが雪の中に飛び出していってから、かなり時間が経っている。 暴れまわっていて自分たちでは気が付いていなくても、身体はずいぶん冷えているはずだ。 遊び終わってここへ戻ってくる頃には、すっかり冷え切っているに違いない。 戻ってきたら熱いお茶を淹れてあげよう。 カップやティーポットを温めるルヴァは、楽しそうに微笑んだ。 やがて、走ってくる足音がして、戸外の寒さと共にオスカーが戻ってきた。 軽く払ってはきたのだろうが、見事なほど雪まみれになっている。 「あ〜寒かった…。凍えそうだ。ひでぇ天気だな」 という言葉とは裏腹に、その表情はいかにも楽しそうに輝いている。 少年のようだ…と、ルヴァはまた思った。 「オスカー、そのままでは風邪を引きますよ。バスルームで温まってきてください。着替えも用意してありますから」 そう言うと、オスカーはニッと笑った。 「温まるならこっちの方がいいな」 言うが早いか、ルヴァをギュッと抱き締める。 「ルヴァ、温めてくれ」 「オスカー、オスカー、冷たいですよ」 ルヴァの抗議の声も聞こえないように、オスカーはルヴァを抱き締め口付けた。 ひんやりと冷たいオスカーの唇が、ルヴァをドキドキさせる。 そのまま流されてしまいそうになるのを、理性で引き戻して、両手でオスカーを押し戻す。 「ダメですよ、オスカー。ほら、溶けた雪で床が濡れてしまいます。早く着替えてください」 殊更に床が汚れるのが困るという態度でオスカーをバスルームに追いやる。 「あ、ああ…そうだな。すまん」 オスカーは素直にわびると、ルヴァの額に軽く口付けをしてバスルームに向かった。 ふわりと微笑んで、ルヴァはその背中を見送る。 何気なく触れた唇は、ほんのりと冷たかった。 「子供たちはまだ外で遊んでいるのですか？」 熱いお茶を勧めながら、ルヴァが尋ねる。 「ああ」と答えて、オスカーはズズッとお茶をすすった。 「…雪像を作るんだそうだ」 「はい？」 「雪像。雪の像だ。ゼフェルが言い出して、あとの２人もその気になってはしゃいでる。みんなが驚くような雪像を広場に作るんだそうだ」 「そうですか…」 うなずいて、ルヴァはゆっくりとお茶を飲む。 「人を驚かせるほど大きなものを作るのはたいへんな作業でしょうねぇ…。何の像を作るかも考えないといけないし…」 「ま、でっかい雪だるま程度のことだろーぜ」 オスカーは面白そうに笑った。 「オスカー、あなたも一緒に作りたいんじゃありませんか？」 「ガキ共と一緒にするなよ。そんなモン作るより、こうしてルヴァといる方が何倍も楽しいに決まってる」 「オスカー…」 甘い笑顔でウインクするオスカーに、ルヴァは頬を染めて目を伏せる。 窓の外では、また雪が降り始めたようだった。 「散歩に行かないか？」 ディナーが終わって少しした頃、不意にオスカーが言い出した。 「今からですか？」 驚いたようにルヴァは窓の外を見る。 雪はもうほとんど止んでいて、雪の白さのせいか夜なのにほのかに明るく感じられる。 「夜の雪なんて、あんまり経験したことないだろ？」 「え…えぇ、それはそうですけど…」 「昼の雪景色もいいけど、夜はまた違う雰囲気なんだぜ」 「はぁ…」 「空、晴れてきてるから、ひどく降ることはないだろうし…。な、行こうぜ」 「…そうですね。行きましょうか」 「ああ」 嬉しそうにオスカーは笑った。 コートを着込み、手袋をはめて、マフラーも巻いた。 「重装備だな」と笑ったオスカーが、いざ外に出ようとすると「寒くないか。もっと厚手のコートはないのか」と心配した口調で言うので、ルヴァは思わず笑ってしまった。 「これだけ着れば寒くなんてありませんよ」 「そうか？」 「ええ、大丈夫です。心配性ですね、オスカーは。さあ、行きましょう」 「ああ、行こう」 外に出ると、空気はキインと冷たかった。 気持ちのよい寒さだ、とルヴァは思った。 見慣れたはずの自分の館の庭なのに、全てが違って見えた。 オスカーと並んで歩きながら、ルヴァは珍しそうにあちらこちらを見回していた。 「どうだ、雪の夜ってのもいいもんだろ？」 「ええ。本当に雰囲気がありますね」 見上げると、まだちらほらと雪は舞っているが、雲が切れてほんのりと夜空が見えた。 ぼんやりとかすんだ月が、いつもと違ったように感じられる。 白と青みがかった灰色の濃淡だけで描かれた、墨絵のような世界に淡く月の光が射している。 幻想的な光景だ、とルヴァはしばし見惚れた。 ふと気が付くと、オスカーが笑いながら見詰めていた。 「…何ですか、オスカー」 「いや…。綺麗だと思ってな」 「ええ、本当に綺麗ですね」 「景色のことじゃない」 「え？」 「そうやって、この景色に見惚れているルヴァが、すごく綺麗だ」 「オスカー…」 頬が熱い。 雪明りの中で、赤くなっているのがわかってしまうだろうか…。 そんなことを、ルヴァは意識の片隅で考えた。 「綺麗で、そうして、むちゃくちゃ可愛い。このまま食べちまいたいくらいだ」 「バカなこと言わないでください」 「バカなことなんかじゃない。本心だぜ」 「そんなことばかり言うならもう帰りますよ…」 「あぁ…わかった、わかった。もう言わないから、ほら、もっと歩こうぜ」 真面目な顔を作ってオスカーが手を差し出す。 しょうがないですねぇ…というように苦笑しながら、ルヴァはその上にそっと手を乗せる。 その手をギュッと握り締めて、オスカーはゆっくり歩き始める。 手をつないで歩くのが、なんだかくすぐったい。 歩調を合わせて歩きながら、ルヴァは頬が熱くなるのを感じていた。 「へぇ…」 突然オスカーが立ち止まって声をあげた。 「どうしました、オスカー」 「うん、この木…」 「え？」 「雪の中でも実を付けてるんだなと思って」 「あぁ、本当ですね」 指差された先を見て、ルヴァもほわりと笑う。 白い雪をかぶって、赤い実が鮮やかだった。 「健気だな」 「そうですね」 「…思い出した。俺の故郷でもこんなような実を付ける木があったぜ。ちょっと待っててくれ」」 オスカーはルヴァの手を離すと、しゃがみこんで雪を集め始めた。 何をするのだろう、とルヴァが覗き込む視線の先で、オスカーは雪を固めて何かの形を作っている。 「ほら、ルヴァ」 しばらくすると、オスカーはルヴァを振り仰いで、嬉しそうに呼んだ。 ルヴァはその隣にしゃがみ込んで、オスカーが今作ったモノを眺めた。 レモンを縦半分にしたような細長い形の片方の端に小さな細い葉っぱと赤い実を埋め込んであった。 「これ、何ですか？」 「雪うさぎだ」 「雪うさぎ？」 「ああ」 ルヴァは改めてその雪の造形を見詰めた。 つまり、この細長い葉っぱは耳で、赤い実は目なのだ。 「ええ。確かにうさぎですね！」 「だろ」 「可愛いですねぇ〜」 「気に入ったか」 「ええ！ オスカー、ありがとうございます」 満面の笑みを浮かべるルヴァに、つられるようにオスカーも笑顔になる。 笑顔で見詰め合って、ほのぼのとした雰囲気が漂う。 その時、 空が再び曇って雪が降り始めたと思うと、急に強い風が雪を吹き付けてきた。 突然の冷たい風に、ルヴァが「きゃっ！」と小さな声をあげる。 「ルヴァ！」 オスカーは急いでルヴァを引き寄せ、マントの中に包み込んだ。 さっきまでの穏やかさが信じられないほど、まるで吹雪のように風と雪は激しくなった。 オスカーはマントの上からじっとルヴァを抱き締める。 少しすると風がだんだん収まってきた。 「ルヴァ、大丈夫か」 そっとマントをほどくと、オスカーを見上げてルヴァがふわりと笑った。 「ええ。あなたがかばってくださったから…」 「寒くないか」 「寒くないです。あなたのお陰で…暖かかったですよ」 ルヴァは頬を染めてオスカーに寄り添う。 「あなたは、暖かいですね…」 「炎の守護聖だからな」 フッと笑って、オスカーはルヴァを抱き締める。 「だけどな、やっぱりさっきのは寒かったぜ」 「あ、あぁ…すみませんでした…私のために…」 「だから…な」 「はい？」 「一晩かけて温めてくれ」 「あ、あの…オスカー…」 「うん？」 ルヴァを見詰めるオスカーの笑顔は、どこまでも甘い。 視線を外して、ルヴァはうつむいた。 頬が熱い… 「いいだろ」 耳元でささやかれ、ドキンと胸が躍る。 「オ、オスカー…」 オスカーがクスッと笑った気配がした。 「雪がひどくなりそうだな。そろそろ引き上げるか」 空を見上げてオスカーが言った。 「…そうですね」 「風が冷たい。ルヴァ、もっとこっちに寄れ」 オスカーはルヴァの肩を抱き寄せる。 館に向かって歩き出しながら、ルヴァはチラリと後方に目をやった。 オスカーの作った雪うさぎの上にも雪が降り積もり、降り続く雪の中で形が曖昧になりかかっている。 そんな中で、赤い実の瞳が優しげにルヴァを見詰めていた。 暖かい色だと思った。 オスカーの暖かさのような気がした… |
記録的な大雪が降ったりして、この冬はなかなか大変です。 |